ありまち

ありふれた町より、愛を込めて 難病の妻を持つ夫のリアルブログ

私と妻の馴れ初め その①

 ここでは、私が妻と出会ってから付き合うまでの経緯を記録します。

 

 ムフフ

 

 

 我々、実は小学校の同級生です。

 中学生になると、二つの小学校が合体します。

 なので、一学年8クラスのマンモス校になります。

 

 私が小学生の頃は随分なハナタレ小僧でして、文字通り鼻水を垂れ流しながら学校へ通っていました。

 家は学区の端の方だったので、子供のジョギングペースで30分くらいかかって通学していたのを覚えています。当時は実家の周りに田んぼばかりだったので、実家の前から隣の学区の小学校が見えてました(どうしてチャイムが聞こえるほど近い学校に通わせてもらえないのかはなはだ疑問でしたねw)

 

 

 一方、妻の方は家から小学校まですごく近いです。10分も歩けば帰宅できるのです。

 格差ですね。通学時間の差だけ勉強時間も差が生まれるのですから。と言っても勉強なんぞ一つもしないで遊びまわっていた私です。

 妻は妻で寄り道しながら40分ほどかけて下校していたそうです。寄り道とは、都会と田舎では意味合いが若干異なるのかなと私は思っています。

 

 我が母校周辺はまったく都会ではなく、かと言って田舎すぎるわけでもないと思っていました。都会とかだとあれでしょ?なんかおしゃれな場所行っておしゃれな食べ物たべておしゃれな会話とかするんでしょ?

 

 

 

 HAHAHA!   そんなことしたことないわ

 

 

 私は通学路に生っている柿とか木イチゴとか、イチジクなんかも食べてましたね。

 あと、よく田んぼとか川に落ちてました(笑) 田舎の男子小学生あるあるだと思ってます。

 

 

 妻はダンゴ虫をひたすら集めながら下校していたようです。何がしたかったのでしょう?

 

 

 

 さて、そんな2匹ですが、当時はそんなにお互いのことを意識したり特別仲が良かったわけではありません。

 タダのクラスメイトで廊下でたまに視界に入ってくるみたいな。要はお互い認識はしているが、これといって興味無い存在だったわけです。

 

 

 それは中学生になっても変わらず、他愛ない会話などすることもなく、進学して別々の高校に通いました。

 妻がSLEを発症したのは中学3年の頃ですが、それは「病気について」のカテゴリーで書こうと思います。

 

                 つづく

 

2人の生活

リアルな家計の収支とか書いていければな、と思います。

 

 2020年3月現在我々は、岡山県岡山市の北区と南区の境目辺りにアパートを借りて2人で暮らしています。子供はまだ生まれていません。

 

 え?年収ですか?まぁ、ここではそういった世帯年収や生活費の内訳なんかを暴露していければな。と思っています。地方労働者の一生活模様・SLEと経済的にどう付き合っているか・愚痴etc... 

 

 綺麗ごとや前向きなことは、2人してあまり言えない性格なので、完全に私の主観でレポート的内容になると思いますが(理系です)

 

 

 

 さて肝心の世帯年収ですが、2019年の源泉徴収によれば

 

 私           ¥4,696,969

 はるちゃん    ¥684,254

 計     ¥5,381,223

 

 ここから税金・組合費・給料天引き分を差し引くと

 

 世帯手取り ¥4,336,654

 

 いかがでしょうか。我が家の現金収入は430万円ちょっとしかありません。念のため言っておきますが、指定難病だからといって公的支援など1円もありませんよ!

 

 しかし!それでも少しずつですが貯金は出来ています!

 

 一番大きく節約出来ているのはやっぱり家賃ですかね。うちのアパートは会社の借り上げ社宅なので、家賃¥72,000のところに¥31,300で住まわせてもらっています。

関東だと家賃7万円でそこそこのワンルームでしょうか?でも我が家は2LDKです!

 

 と言うことは、72,000-31,300=40,700で、40,700×12ヶ月=488,400

    ¥4,336,654+488,400=¥4,825,054

 が、世帯手取りと考えても良いと思います。

 

 まあ、理由あって今年2020年ははるちゃんの収入が¥0になるのですが。。。その辺は追々ということで(笑)

 

 

 

 今日のところはこの辺にしといてやる!

 年収・手取りはこんな感じです。多い・少ないは人と比べたことが無いのでわかりませんので何とも言えませんが、コメントしたい方はウェルカムですので是非是非ご意見ください。

 

                  つづく

 

特発性血小板減少性紫斑病について

 

私の妻の持病。詳しい説明は省きますが、大まかに知られていることを以下に記述します。

 

 

特発性血小板減少性紫斑病について

 

  • 血小板数が減少し、出血しやすくなる病気
  • 患者さんの総数は約2万人であり、新たに毎年約3000人の患者さんがこの病気に罹ると考えられる
  • 20~40歳台の若年女性に発症ピークがあり、男性の約3倍多く発症する
  • 根本原因は未だはっきりとしたことはわかっていない

 

どのような症状が起こるか

 血小板は、出血を止めるために非常に大切な細胞で、この数が減ると出血し易くなり、また出血が止まりにくくなり、次のような種々の程度の出血症状がみられる。

  • 点状や斑状の皮膚にみられる出血
  • 歯ぐきからの出血、口腔粘膜出血
  • 鼻血
  • 便に血が混じったり、黒い便が出る
  • 尿に血が混じって、紅茶のような色になる
  • 月経過多、生理が止まりにくい
  • 重症な場合は、脳出血

 

こちらも色々書きましたが、私の妻が診断された時の場合

 

自宅でリラックスしている時でも、鼻血が頻繁に出て止まらない

止まらない鼻血をじゅるじゅるすするので、血が胃にたまり遂には吐血する

 (胃に血が溜まると、胃は血を外に出そうとするので吐血するらしいです)

 

診断がでた直後、即入院しました。

 

 

全身性エリテマトーデスについて

 

私の妻の持病。詳しい説明は省きますが、大まかに知られていることを以下に記述します。

 

 

全身性エリテマトーデスとは

  • 英語でsystemic lupus erythematosusといい、その頭文字をとってSLEと略して呼ばれる
  • 皮膚に出来る発疹が、狼に噛まれた痕のような赤い紅斑である
  • 発熱、 全身倦怠感 などの 炎症 を思わせる症状
  • 関節、皮膚、そして腎臓、肺、中枢神経などの内臓のさまざまな症状が一度に、あるいは経過とともに起こってくる
  • 原因は、今のところわかっていないが、免疫の異常が病気の成り立ちに重要な役割を果たしている
  • 日本全国に約6~10万人程の患者さんがいると考えられている
  • 男女比は平均すると1:9ほどで、圧倒的に女性に多い病気。特に20-40歳の女性に多いとされている
  • 今のところはその原因は分かっていない

 

どのような症状が起こるか

 

一般的に、全身症状、皮膚や関節症状がほとんどの患者さんに見られる。これに、さまざまな内臓、血管の病気が加わる。しかし、これらの症状の組み合わせは患者さん毎に異なる。内臓の症状が全くない軽症のタイプもある。

 

  • 発熱、全身倦怠感、易疲労感、食欲不振など
  • 手や指が腫れて痛い関節炎を起こす
  • もっとも有名なのは、頬に出来る赤い発疹で、蝶が羽を広げている形をしているので、蝶型紅斑(バタフライ・ラッシュ)と呼ばれている
  • 強い紫外線にあたった後に、皮膚に赤い発疹、水膨れ、あるいは熱が出る人がいる
  • 口内炎・脱毛
  • 臓器障害 一人一人によって、出てくる症状、障害される臓器の数が異なる。全く臓器障害のない軽症の人も。特に腎臓(ループス腎炎と呼ばれることがある)、神経精神症状、心病変、肺病変、消化器病変、血液異常などは生命に関わる重要な障害になることがあるので、きちんとした診断と治療が必要

 

色々書きましたが、私の妻が診断された時の場合

  1.全身倦怠感、易疲労感、食欲不振

     いくら寝ても疲れが取れない・だるい、食欲が全く無い 

  2.蝶型紅斑(バタフライ・ラッシュ)

     普通の湿疹とは明らかに異なる

  3.関節炎

 

診断がでた直後、即入院しました。

 

 

はじめに

 

このブログは2020年(令和2年)2月に開設しました。

2020年2月現在、私(夫)32歳 妻33歳です。

 

 

我が家の経歴

生年月日   1987/3/14

経歴  岡山県内の工業高校を卒業後、県内の理系私立大学を卒業単位ピッタリで卒業。県内のパッケージ会社で印刷機のオペレーターとして二交替を5年半勤めて転職を決意。転職先はこれまた岡山県内の化学系で、三交替勤務の生産オペレーターになる。1年後妻と結婚して現在に至る。

 

生年月日   1987/2/17

経歴  岡山県内の女子高を卒業後、倉敷市にある私立大学で管理栄養士の勉強をして見事合格。卒業後は県内の老人ホームで献立を立てながら調理もしていた。約3年後退職し、派遣で私立中学校の寮にて献立を立てていたが、派遣期間が終了する。しかし、派遣先からパート社員にとお誘いがあり、仕事内容はそのままでパートとして約3年勤務。私と結婚後1年で専業主婦となり、暫く休養してからパン屋さんで売り子のパートをして現在に至る。